おなかが空いたら足から食べて

ライターによるいろいろなことです

「人殺し」と叩かれた加害者家族(仮)の恋人と。

こいび『現代ビジネス』の記事を読んで、思い出すことがあったので書くことにした。とくに誰にも話していなかった話だ。

 

gendai.ismedia.jp

 

数年前、わたしは社会問題の取材をすることが多くて殺人事件もよく扱った。そのときは被害者家族の方が距離が近かったけれど、その後、はからずも加害者家族と身近になった、その時のことです。

 

※鬱や、犯罪に関わることを書きます。
※苦手な方は読むのはご注意ください。

 

    * * *

恋人ができたばかりだった。彼は野心家で、仕事が命で、どんな手を使ってものし上がってやる、というふうな人だった。過去に鬱病の治療をしていたらしいけれど、症状は軽く職場復帰も早かったらしい。鬱のきっかけについては「ちょっといろいろあってね」と多くは語らなかったけれど「今は上司の支えで仕事にも戻れたし、焦らず結果を出していくよ」と意気込んでいた。互いの仕事が多忙で集中していたこともあり、わたしは彼に自分が事件取材を仕事にしていることは説明していなくて、「まあそのうち言おう」くらいに思っていた。

けれど、付き合い始めてしばらくすると、彼の様子がおかしいことに気づいた。

彼の家に泊まりに行くことが多かったのだけれど、夜中、突然唸り声をあげて飛び起きるのだ。こっちも驚いて起きると、背中を向けて汗だくで震えている。「どうしたの?」と聞いても返事がない。よくわからないまま背中をさすったら、そのうち静かに眠っていった。
また、深夜にふと目覚めると、真っ暗な中でよく携帯を見ていた。2ちゃんねるらしき掲示板サイトに見えた。「眠れないの?」と聞くと「んー」と背を向けられたので、その時はそれ以上聞かなかったけれど、一心不乱に見ていた。
そして、ある夜のこと。いつものように飛び起きてベッドの縁に腰掛け震えているので、わたしも起き上がって、後ろから彼の背中をさすっていた。彼は振り向かず、これもいつものように暗闇で携帯を取り出し読み始めた。わたしはどうしたらいいかわからずずっと彼の背中に触れていたのだけれど、心配しているのが伝わったのか、聞いて欲しかったのか、ふと彼が言った。

「俺のことは俺の名前でネット検索すればわかる」

なんだかヒリッとした声だったので、わたしはとっさに「ふーん」と気の無い返事をして、その言葉はなかったことにした。そもそも、彼が話さないことをネットで読む意味がわからない。目の前に本人がいるのに。でもわざわざそう言ったってことは読んで欲しいってことなのかな……。しばらく悩んで、数日後、ネットで彼の名前を検索した。

 

罵詈雑言の嵐だった。
「人殺し」「殺人鬼」「死ね」。
とくに2ちゃんねるがひどかった。罵倒の言葉のほか、職場、交友関係などの個人情報が晒されていた。どうやら、彼の家族のひとりが数年前のある死亡事件の関係者らしい。その事件はあまりに不審な死だったので当時ワイドショーでかなり話題になっていたようだ。ちょうどその時期に日本にいなかったので、その事件のことはまったく知らなかったけれど。
でも彼の家族のひとりはあくまで「関係者」で、それは殺人ではなく不審死だ。
それなのにネットには攻撃的な悪意の言葉が満ちていた。彼本人も「殺人鬼」と書きたてられ、完全なデマもたくさんあった。その書き込みは、事件から数年経っても更新され続けている。それを彼は夜毎に電気を消した暗闇の中、ひとり読んでいるのだ。

「ネットで検索すればわかる」と言ったのはこのこと?でも「わかる」ってどういうこと?書かれていることは本当だってこと?それとも、自分がなんで毎夜うなされているかがわかるって?もしくは他人が自分をどう見ているかわかるってことなの? 説明することも釈明することもなく「わかる」とだけ言った彼を思い返すと、なんかもうぜんぶ諦めているような気もした。わたしは、彼の「わかる」は「ネットを検索したら俺が世間的にどう思われている人間なのかわかるから、嫌なら離れればいいよ」というふうに解釈した。

ネットで検索したことは彼には言わなかった。彼もわたしに確認しなかった。何事もないように日々を過ごし、汗だくで飛び起きた夜は背中に手を当てることが続いた。
ただ、一度だけ思いきって、つとめてなんでもないことのように「携帯見てたら目が覚めちゃうよ〜」と言ったことがある。けれど「うーん」と返されただけで、どうしたらいいかわからなくて、けっきょく彼にくっついて眠った。

そんな彼が、自分から事件について触れたことがある。たまたま家族の話になった時に「あの人は悪いとこもあるけど、そんなに酷いことをする人じゃないと思うんだけどなぁ」とだけ言った。……ああ、そっか、彼にはわからないんだ。家族のことは信じたいし信じてるけど、本人じゃないから100%真実はわからないし、起きたことの引き受け方がわからないんだ。だから「やってないから」と罵声を無視することもできず、毎晩ネットを見てしまう。

 

彼の症状はどんどん悪くなっていった。
深夜2時になんの脈絡もなく人生を悲観する長文メールを送ってくることはざらで、ときどき信じられないほど高額の散財をし(給料3ヶ月分以上はあったと思う)、部下へ暴力を振るい(ケガをさせるほどではなかったけれど)、部屋でわたしが移動した後ろから掃除された。少しでも思い通りにならないと癇癪を起こし、レストランで食事をしている時に突然「食べるのが遅い!」と怒鳴って、針のムシロのような雰囲気の中で完食させられたこともある。
映画デートの時は死ぬかと思った。予約した映画の時間に少し遅れそうだったのに、乗った車は軽く渋滞にはまっていた。運転席の彼がイライラしているのがわかったので「最初の10分くらいは予告だからヨユーだよー」と言ったけれど、彼の苛立ちは収まらず、突然ほとんど車のいなかった反対車線に飛び出るとそのまますごいスピードで走った。赤信号をぶっちぎっての逆走。一台でも車が来たら絶対死ぬ。呆然として、体が動かなくて、ただ小さな声で「間に合うよ……」と言うのが精一杯だった。けっきょく、映画の開始時間より前に着くことはできた。すると彼は真顔で「な、間に合っただろ」と言った。さすがに、やばい、と思った。
それでも手を上げられたことは一度もなかったし、基本的にはずっと優しかった。

ちょうどその頃、仲の良い事件取材記者の先輩と飲んでいた時。先輩が当のその事件を追っていると知った。亡くなった方の家族に取材を重ねているところで、いつか本にしたいのだという。わたしは彼と付き合っていることを、先輩に言えなかった。

 

時間がすぎていった。まだ自分の仕事のことは彼に打ち明けられないままだった。

彼をめぐる状況はどんどん悪くなっていく。彼のほかの家族たちも、それぞれ病気やらなんやらと大変なことが重なってきていた。比例するように彼の潔癖症は度を増して、わたしは彼の家に入れてもらえなくなった。自分のテリトリーに他人の髪の毛一本入ることが許せない。その代わり、外出先はぐちゃぐちゃに汚しても気にならない。わたしから連絡をしてはダメで、彼が連絡をくれた時には最短で飛んでいくというふうになった。連絡の頻度は徐々に減っていき、時々、思い出したようにメールか電話がくる。まるでコップの水が溢れれば連絡をする、という感じ。穏やかな時もあれば、めちゃくちゃな時もあった。

ある日、中華料理を食べにいった。赤坂のかなり高級な中華で、彼は「久しぶりだから奮発した」と嬉しそうだった。調子が良さそうだったし、すごく楽しかった。もしかしたらこのまま良くなるんじゃない?なんて希望を感じたほどだ。
でもその帰り道、信号を渡っているとど真ん中で彼が立ち止まった。「どうしたの?赤になっちゃうよ?」。声をかけると、小さな声で「足が動かない、手を繋いで」と囁いた。だらんと降りた手をとると、小刻みにカタカタと震えていた。「触れば……少しよくなる」。彼が言ったとおり震えは少しずつおさまってくる。その震えが完全に止まってから、大量のクラクションに急き立てられながら赤信号の横断歩道を手を繋いでゆっくり渡った。なんかその時の気持ちはもう思い出せないんだけれど、信号の赤とかオフィスビルの明かりとか飲食店の看板がやたらピカピカ光っていたのに、横断歩道だけ暗かったな。

その後、彼は家からほぼ出なくなり、わたしにも会いたがらなくなり、コミュニケーションはメールか電話だけになって、それも少しずつ減っていき、ついに連絡は来なくなった。風の噂で、彼が休職したと聞いた。

 

最近、彼から連絡があった。久々に会いたいというので、迷ったけれど食事に行った。
会うと思いのほか元気そうだ。鬱の病状が良くなり仕事に復帰したそうだ。復帰といっても子会社の事務職で、それはつまり彼のずっとやりたがっていた仕事ではなかったし、出世の道は断たれたということだった。あの野心家の彼がと思うと、職場での寂しげなスーツの背中を想像してしまいなんとも言えない気持ちになる。けれど「仕事はそれなりに楽しいよ」と笑っていたのは少し救われた。
食事は楽しくて、彼は「会えて良かった」とすごく喜んでくれて、わたしは彼から離れてしまった申し訳なさと今会って笑ってくれる感謝でいっぱいだった。当時の話はもちろん事件の話もしなかった。最近あったこととか、面白い本のこととか、ちょっとした兄弟げんかのエピソードなんかを聞いて笑った。

別れ際。向こうから「俺、あの時期のことほとんど覚えてないんだよね」と言ってきた。蒸し返したら怒られるかなぁと思いながらも「車で反対車線を逆走した事も覚えてない?」と聞くと、「え〜それ俺?まぁあの時期ならやってたかもなぁ」と困った顔で笑われた。むしろ「俺は思い出せないんだけど、お前が覚えてくれてるならいい。覚えてくれてる人がいるのはなんか救われる」と言われた。正直その気持ちにはうまく共感できなかったし、きっとわたしも思っている以上に彼のことを傷つけていただろうけど、そうであるなら良かったと、握手をしてわかれた。

 

今は、まあ、ムラはあるけれど調子良さそうにのんびりと彼は生きているみたいだ。ときどき連絡をとる。ただ、今でもネットには当時の事件についてデマが溢れているし、ときどき誰かがTwitterでその事件のリンクを貼ってつぶやく。彼が今も夜中に震えながら携帯を見ているのかは知らないけれど、でもきっと、目につくだろう。終わることは多分ない。

 

    * * *

 

余談になるけれど、殺人事件の取材をする時はすでに傷ついている人をできるだけ傷つけないように、できるだけ失礼ないようにと気をつかう。報道を見ているとそうは感じられないだろうし、実際に「おい、この報道はないやんけ!」と思う時もあるから、取材者にも媒体にもよるとは思う。当時と現在とでは違うというのもあるかもしれない。
ただわたしが現場や裁判所にいた時は、媒体をこえて「この解釈はこれで合っているだろうか、決めつけてないだろうか」と確認しあったし、被害者家族の方々が何度もみずから心のうちを語ってくださり「どうしたらもっと正確に世間に伝えられるだろうか」と記者と相談を重ねることもあった。

本当に酷い、と思う報道もある。
一方で、誠実な取材がそうと伝わらないこともある。
それについてはどうしたらいいかわからないし、多くの方がいろいろと考え続けて行動し続けて、今がある。ただ、自分の目で見ていないことについては断定して広めないようにしたいとは、思っています。

 

(ありがとうございました。彼には書く許可は取っています。でも、あとで非公開にするかもしれません)

 

こちらより転載しました